「山伏って、何をする人?」―私が修験道を歩く理由

「山伏」と聞いて、どんな姿を思い浮かべるでしょうか。
そもそも、山伏を実際に見たことがない方も多いでしょう。

修験道・山伏は、仏教や神道、陰陽道などが融合し、日本独自の進化を遂げた信仰です。
その歴史は1300年ほど前にさかのぼり、古くから山を大切な修行の場としてきました。

一方で、山伏というと少し不思議なイメージを持たれることもあります。

「法力」と呼ばれる超能力のような力を使って病気を治したり、人を呪ったりする――そんな漫画やアニメのような姿を想像する方も少なくないと思います。
もちろん、山伏は国家安寧のご祈祷から、個人の病気平癒や合格祈願などお願いごとの祈祷まで行います。

かつて山伏は、朝廷や時の権力者からも頼られる存在でした。雨乞いをして雨を降らせたり、怨敵調伏の祈祷によって敵対する者を退けたりと、その「法力」には不思議な力があると信じられていたのです。

しかし、私が考える山伏は、特別な力だけを見せる人ではありません。

**神仏に仕え、祈りながら山を歩かせていただく者**

それが山伏の真の姿だと思っています。

険しい山では、急な坂を登り、長い道を歩き、時には雨や暑さ、寒さにも向き合います。
決して楽なことばかりではありません。
けれど、ただ苦しいことをするためだけに山で修行しているわけではありません。

自然の中を歩き、神仏へ祈り、自分自身と弱さや罪深さに向き合うためです。
大きな木々に囲まれ、風の音を聞き、壮大な山の中に身を置いていると、自然の厳しさと同時に、何か偉大なものに包み込まれているように感じることがあります。

「守られているな」

そう感じることもあります。

そして、大自然を前にすると、普段自分が抱えている悩みやこだわりまで、とても小さなものに思えてきます。

自然は、人間の都合に合わせてはくれません。

晴れてほしい日に雨が降ることもあります。
穏やかだった山が、突然厳しい姿を見せることもあります。

人間から見れば、理不尽に感じることもあるでしょう。

しかし、それが自然です。

考えてみれば、私たちの暮らしも同じではないでしょうか。

思い通りになることばかりではありません。
嬉しいこともあれば、苦しいこともあります。

私たち人間も自然とは別の存在ではなく、自然の中に生きる一つの命です。
だからこそ修行を通して、**生きていることは決して当たり前ではない**ということを、何度も教えられます。

山に入り、滝に打たれ、厳しい修行をする特別な世界に感じるかもしれません。
もちろん、それも修行の一つです。

しかし、修験道や祈りとのご縁は、もっと身近なところから始めることができます。
まずは、お寺で手を合わせてみる。
神仏や先祖に感謝する。 自分自身を振り返り少し見つめてみる。

箱崎教会では、蔵王権現をはじめとする神仏をお祀りし、日々祈りを捧げています。

「修験道って何だろう」
「山伏ってどんな人なんだろう」

そんな小さな興味からでも構いません。一度、箱崎教会へお参りください。

手を合わせる時間が、修験道や祈りを少し身近に感じる最初のご縁になればうれしく思います。

合掌

箱崎教会では、護摩・法要・夕座などを行っています。ご参拝をお考えの方は、今後の行事予定をご覧ください。

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